 |
| 利用客へのホスピタリティー精神を大切にする。赤れんがが映える神戸北野ホテルにも同じ思いを抱くスタッフが集まる=神戸市中央区で |
|
|---|
フランス料理のシェフがホテルやカフェの経営を次々と成功させている。その秘訣(ひけつ)は料理とサービスの「オートクチュール」化の実現。阪神大震災で休館した「神戸北野ホテル」の再建が始まりだった。
――もともとは三ツ星レストラン「ラ・コート・ドール」が92年に出店した支店の日本人料理長でした。
料理人として絶頂期でした。支店は留学時代の師匠、ベルナール・ロワゾーさんの店で、素材を生かした料理を出しました。一皿がテーブルに並ぶまでに約40人がかかわる丁寧な作りで、調理のタイミングが少しでもずれれば作り直しました。厳しい料理長だったと思います。ただ、ロワゾーさんから「本店に勝るとも劣らない」と評価をもらい、ゴールに達した思いでした。それが、95年の阪神大震災を機に支店が日本から撤退して、すべてを失いました。
――神戸の観光地・異人館街近くにある神戸北野ホテルの再建を00年に始めました。
震災後、別のホテルレストランの料理長として売り上げを5倍にした実績を知った経営コンサルタントから声がかかりました。料理だけでなく、ホテル経営を含めて引き受けました。一人ひとりのお客様のニーズに応え、最高の料理に加えて空間も演出する。いわば「オートクチュール」のホテル作りを目指しました。非日常の世界を醸し出すことが最高のホテルという評価につながると思います。
――例えば?
食事目的に泊まるフランス流の料理宿「オーベルジュ」にしました。石窯で焼きたてのクロワッサンを提供し、コンフィチュール(ジャム)やハチミツの種類を増やして味の違いを楽しんでもらう。ここでしか味わえない演出を意識しています。お客様のニーズに応える形で朝食も工夫しました。ホテルの協会が認定した「世界一の朝食」を再現したものですが、サラダのない欧州スタイルを不満に感じるお客様がいました。スタイルが崩れないようにと悩んだ末、野菜ジュースを出しました。
――料理人から経営者への転身は難しかったのでは?
転身ではありません。基本はいまも料理人です。30年やってきた料理人としての考え方が一番しっくりきます。例えば、同じ場所で皿が何度も割れたとして、調理場だったらどう対処するか、設計に無理があるのか、注意喚起で済むのかといった具合です。調理場で判断したことを経営に重ね合わせると対応策が見えてきます。
――再建請負人のように次々と事業を再生させています。
これまで三重県のホテル「プライムリゾート賢島」や神戸のビル内にあるレストランなど収益面が悪いところを手がけました。施設を生かし、最低限の投資で再出発させる手法です。サービスというソフトがあれば、ハードを動かすことができるという確信があります。
――コンサルティング業にも力を入れています。
世界的ブランドが韓国に出店する際、併設するカフェのメニューや厨房(ちゅうぼう)の設計を任されました。ドバイに建設中のホテルレストランや東京の外資系ホテルのレストラン再建も頼まれています。私たちのソフトを生かすビジネスモデルを作りたいと思っています。
文・田幸香純 写真・山崎虎之助
 |
| 料理人の使い勝手を考えて設計した厨房は清潔感の漂う自慢の造りで、見学も可能だ=神戸市中央区で |
|
|---|
■震災を機に「再建請負人」に
95年の阪神大震災が人生を変えた。
震災の10日後。大阪市内の自宅から神戸市東灘区の六甲アイランドのホテルに向かう途中、倒壊した家やビルを目にしてもどこかひとごとだった。だが、レストランにたどり着くと立ちつくした。割れたワインボトルが散乱し、横倒しの調理台や冷蔵庫は元の位置が分からないほど。震災が現実のものとなり、頭の中が真っ白になった。「人生の終焉(しゅうえん)だと思った」
店の撤退が決まった途端、それまで愛想のよかったシェフたちの中には「大変だね。まあ、頑張りや」と態度を変える人も少なくなかった。「店の看板だけで評価されていたのか」と思い知らされた気分だった。震災以来、休館していた神戸北野ホテルの再建話が舞い込んだ時、ふたつ返事で引き受けたのは「震災の経験を負にしたくない」と思ったからだ。
■対話の料理
客室数わずか30室だが、内装も家具もすべて異なり、レストランには自然光が入る。赤いれんが造りのホテルが特別な空間に映った。師匠のロワゾー氏がレストランの隣で経営していた料理宿「オーベルジュ」が胸によみがえった。バターや生クリームをほとんど使わず「水の料理」と呼ばれたその料理は、ロワゾー氏が「連日の仏料理は胸焼けがする」と話した客の一言を採り入れた「対話の料理」であり、料理の「オートクチュール」だった。
「お客様の言葉に耳を傾けるからこそ、新しい料理が生まれる」。それが本来のサービス業だと信じている。
「オートクチュール」を実現するためには、客と真正面から向き合う従業員を育てることが不可欠だ。「再建請負人」として向かう先では現場と対立することもあった。
三重県志摩市の会員制リゾートホテルでは、レストラン内で浴衣姿の食事を禁止することを提案した。従業員たちは「これまで利用してくれたお客様に説明がつかない」と猛反発した。山口さんは「ホテルに来るお客様は非日常の空間を求めているはずだ。浴衣姿を見たら幻滅する」と説得した。そして調理場で料理を作る流れを見せ、「料理の魅力を最大限に引き出すのは、わくわくさせる雰囲気と、自信を持って接する従業員の姿勢だ」と説いた。
■社会的責任
「以前はお客様の目を見ることができなかった」。そう口にしていた従業員がその後、笑顔で接客する姿に安心した。赤字続きだったホテルは、山口さんが再建に乗り出した直後の05年度に単年度黒字を達成。最高益を更新し続けている。
現在、ホテル経営をはじめ、仏レストラン「イグレック」やジャムなどの販売店、「イグ・カフェ」など計17店を展開、従業員は約430人に膨らんだ。カフェは今後3年でさらに30店の新規オープンを目指す。会社も3社設立し、5年後に総売上高100億円を目指す。
事業が成功するたびに客や社員が増え、社会的責任が増していると感じる。「山口浩が手がけたホテルやレストランが、自分が衰えるとともに傾くようではだめだ」。料理のことばかり考え、手際の悪いスタッフを排除していた支店の料理長時代には考えられなかった思いだ。
夢がある。仏で学んだ「オートクチュール」の精神を引き継いでいく人材を育てたい。日本に仏料理が広く根付くことを信じて今、その種をまく。
■年代物ミシュランガイドずらり
――神戸北野ホテルのロビーには仏の「ミシュランガイド」がずらりと並んでいます。
仏留学中に偶然、古本屋で自分が生まれた年の1960年発刊のものを見つけたのが収集のきっかけ。「何十年も前の本があるなら全部あるだろう」と古本屋を探しまくった。あと3〜4冊ですべてそろう。ただし、一番最初の1900年発刊分だけはレプリカ。一度、本物を見つけましたが、悩んでいる間に別の人に買われてしまった。今でも悔しい。
――おしゃれな腕時計をしていますね。
新しい店をオープンするときに1個買います。神戸北野ホテルのオープンのとき、小さい頃から目をかけてくれていた知人がロレックスを買ってくれました。「ホテルがうまくいってからいい時計を買うと、もうけで買ったといわれるから」という理由でした。ホテル経営がうまくいったので、一種の験担ぎのようになっています。
――験担ぎは他にも?
験担ぎではありませんが、資金的なことは車に換算して考えます。留学の際に300万円という大金が必要で、悩んだ時期があった。でも、悩む自分の目の前を300万円クラスの車がバンバン走るのを見たとき、ふと金は「単なる車」と考えればいいと思った。ある人はそれを車と交換した。僕は経験と交換すればいいと考えたら気持ちが軽くなった。以来、新規出店時など必要経費は「このくらいならベンツクラスかな」とか考えます。
――健康に気をつかっているそうですね。
5年ほど前からフィットネスクラブに毎日2時間通っています。ただ、新規出店の前は時間がなく、ストレス解消が食べる方にいって体重が増えてしまいます。難しいですね。
|
◆ チェックポイント ◆
■劣等感をバネに飛躍
「料理人としてのエリートコースは歩んでいない」。インタビュー中、山口さんの口から何度も漏れた言葉だった。
中学生のときに仏料理のシェフになりたいと思ったが、調理師学校は経済的な理由であきらめた。23歳のとき、働いていたファミリーレストランのシェフの紹介で、あるホテルに入社できた。周りは「エリート」ばかりで、喜びとともに劣等感が襲った。
ホテルレストランでは仏語のメニューが配られると文字を書き写して覚えた。終業後も持ち帰って繰り返し勉強した。神戸の仏レストランの料理長時代も、社内会議で経営計画や原価率が書かれた資料が配られると、「いつか宝物になるかも」と手元に置いた。それは神戸北野ホテル再建のときに生きた。
大阪のホテル時代から25年来の料理人仲間で、兵庫県加古川市で仏レストランを営む山口照久さん(55)は「努力家というより吸収家。仕事のノウハウを吸収して次に生かす能力が高かった」と評価する。
震災後、何もかも失ったと思っても料理人に復帰した山口浩さん。「エリートだったら、再出発はあきらめていたのかもしれない」という。かつて劣等感を抱きながらも仕事に向かった経験は、今では武器になっている。
|
60年、兵庫県生まれ。大阪ターミナルホテルなどのシェフを経て88年に渡仏。仏レストラン「ラ・コート・ドール」で修業後、92年に神戸出店の同レストラン日本人料理長に就任。00年から神戸北野ホテル総支配人・総料理長。
|
 仏修業時代の92年(写真の右)。真ん中が師匠のベルナール・ロワゾー氏
|
|